チンさん凡人投資家

投資歴40年ですが達人ではないです。特別な才能がない普通人がリタイア後の資産を株式投資で失敗なく確実に作れる方法を発信しています。お金のかからなくて楽しいリタイア生活も発信中。

「あなたの宗教は何ですか?」あまり触れられないテーマです!

みなさんごきげんようです。

2020年12月21日(月)記述

 

日本人は言霊を信じていて「口に出すと実現してしまう」と思っています。

だから不吉なことはめったに口にできません。

「来年のオリンピックは無理だ」

「ジャイアンツは4連敗でソフトバンクに負ける」

・・・

わりと軽めの話題でも口にしたらそう願っていると思われかねません。

オリンピック支持者は敵視しますし、ジャイアンツファンも愉快ではありません。

 

カープも勝てなかったしジャイアンツのせいではないのですがね。

 

さて今回はそれよりもっと「言ってはならない」分野です。

と言っても私はなんとも思っていませんけどね。

 

はいズバリ私の人生の終わりについてです。

過去のいかなる人も全員が死んでいますから、私達全員に終わりが来ます。

 

しかし自分がいない世界なんて想像したくありません。

知能が発達した人類はことさら「自分が死ぬ」ことに大して恐れてきました。

 

だから秦の始皇帝は「不死の薬」を求めたし、寿命を伸ばすとの触れ込みの薬、ヒ素、水銀系の薬を服用してかえって寿命を縮めてきました。

 

道士たちが調合する不老不死に効果があるとする金丹では多くの皇帝が水銀中毒、ヒ素中毒にかかっています。

特に唐の歴代皇帝はその傾向が強くて副作用で側近を何人も斬り殺した皇帝もいます。

 

危険とは知られていたでしょうが「不老不死」の魅力が勝っていたんでしょうね。

 

脇道にそれましたね。

 

宗教は「死の恐怖」に対する対策として生まれてきた面もあります。

 

さて質問です。

あなたの宗教はなんですか?

多くの日本人にとってこの質問はあまり意味をなしません。

たいていの方が

「ウチは真宗です」とか

「日蓮宗です」とか

「禅宗です」とか答えます。

 

このウチは代々というのが問題で、家としての宗教なのですね。

自分個人としてではありません。

 

なのでそのうちの宗派はなんですか?

と聞かれても答えられない人が多いです。

 

真宗にも本願寺派、大谷派、・・・などいくつもの宗派があります。

そしてそれぞれの宗派は独立した存在です。

 

禅宗にも臨済宗、曹洞宗、・・などありさらに臨済宗は14の派に分かれています。

他には弘法大師の真言宗は16派18本山があります。

 

複雑ですよね。

しかし多くの方は気にしませんよね。

関心も高くありません。

 

その理由は檀家制度の成り立ちにあります。

江戸時代の檀家制度が受け継がれている

江戸時代にキリスト教徒でない証としてどこかの寺に所属しました。

「寺請制度」といいますね。

つまり宗教上以外にも戸籍も寺が受け持ったのです。

 

だから家ごとに代々所属する寺は決まっていたわけです。

現在でもその流れで他の宗派に代わる例は少ないです。

 

しかし考えてみればこれはおかしなことです。

親が信仰している宗教を子供が受け継ぐのは普通のことです。

 

しかし自分が大して信じてもいない宗教を子供に受け継がせるのは変だと思いませんか?

 

まして奥さんは嫁いで来た家の宗派にそのまま入るわけです。

「選択の自由」は関係ないですね。

 

そんな形なのでイスラム教の人たちみたいに一日に5回お祈りするとか、喜捨するのが義務だとか、断食月があるとか激しく信仰する人はまれです。

 

キリスト教でも毎週日曜日には礼拝に行く人は多いそうですが、日本の仏教ではそんな頻度で寺参りする人はいません。

 

日本は宗教がゆるーい国

これは窮屈でないという点でいい面も多いです。

つまり正月は神社に参って(川崎大師とかの寺もある)お盆は寺に参って、結婚式はアルバイト牧師の教会で挙げて(失礼知り合いがアルバイトしてたもので)クリスマスを祝う、みたいな感じです。

 

だから普段は自分の宗教に関して「深く考える場面はありません」

 

しかしリタイアの時は考えて、見直して欲しいのです。

 

無宗教ならそれはそれで良いと思います。

 

大事なのは家族が、特にパートナーと「価値観を共有できているか?」という点です。

 

今が曲がり角

つまりあなたは特に信仰心はないけれど先祖代々の宗派で違和感を感じてなくて、先祖の墓に入るとしてもお子さんはどうでしょう?

 

あなたが特に信じてもいない宗教をお子さんに強制はできないでしょう。

「〇〇家は代々この宗派でやってきたんだ」と言ったとして

お子さんが

「おっしゃるとおりです」と言うでしょうか?

ましてや息子さんのお嫁さんが素直に納得するでしょうか?

 

「当たり前だ」「我が家に嫁いだからにはしたがってもらう」「それがしきたりだ」

とか言っているとすれ違いが生まれます。

 

もともと江戸幕府の統治上の理由でその寺に属しただけのことです。

教義もへったくれもありません。

 

つまり奥さんやお子さんに今までの「慣例」を求める明確な理由はないです。

 

だから奥さんが「あなたと同じ墓には入りません」と言ったとして

「何を言っている」と目くじらを立てる理由はどこにもありません。

 

宗教を強制する権利はないからです。

まして宗教とお墓はイコールではありません。

 

「ごちゃごちゃ言わずにスッキリと結論を言え」「言いたいことはなんだ?」

とおっしゃりますよね。

 

では

1 少なくとも自分はどんな方針で行くか明確にする

2 家族はどんな考えか話し合う

3 これでリタイア後の祭祀に対する方針が明確になる

 

一番厄介なのは葬式などの祭祀をどうするか?ですからこれがスッキリすればリタイア後の生き方もよりスッキリするわけです。

 

もちろん費用にも大きく関係します。

 

よく週刊誌などで「戒名で多額のお金を取られた」とかの苦情が載っています。

 

しかしこれは非常に不思議です。

寺側、住職サイドでは仏教の理念に基づいて戒名を授けるわけです。

つまり依頼者は「熱心な信者」という前提に立っています。

 

「恥ずかしくない戒名をお願いします」と言われれば

「ははーん、そこまで深く故人を思っているのか。ならば立派な戒名を授けよう」となります。

相場がわからなくて「いかほどお支払いしましょうか?」と聞かれれば

「本当は相場なんかじゃなくて気持ちだからいくらでもいいですよ」

といいたいところを

「そうですね、この戒名だと50万以上は頂いています」

と言うことになります。そうしないととんでもない額になったりするからです。

 

それを「あの住職は戒名だけで50万も吹っかけやがって」と言われたのでは住職も立場がないでしょう。

 

まずは熱心な信者だと思うしかないからです。

 

すべての原因は江戸以来の檀家制度にあります。

 

もしその宗派があるいはそのお寺があるいはその住職が気に入らなければ、替わればいいからです。

不信感を持ちながら檀家を続けるよりはそのほうがよっぽどお互いにスッキリします。

 

私自身も宗派を替わっています。

養父の家は代々真宗でした。

 

今考えれば真宗で悪いことはちっともなくてむしろ天才親鸞上人の画期的な教えです。

しかし以前はそう思えなかったのです。

 

真宗の坊さんは江戸時代でも他の宗派とは違って妻帯を認められていました。

さらに髪も伸ばしていいのです。

他の宗派とは違うのですね。

 

私的には「合わない」と感じて縁あって十数年前に禅宗に帰依しました。

 

私のことをあえて話したのは「慣習だから」「今までそうだったから」というのなら見直す機会だと思うからです。

 

そしてどんな結果になるにしろ家族で話し合えば理解は深まります。

信じてもいない宗教の儀式だけをうわべだけ踏襲する必要はありません。

 

あなたが決断しなくてもお子さんの代でされるかもしれません。

しかし、あなたとお子さんの関係性は大事です。

あなとと奥さんもです。

 

今回このテーマを話したのは

コヴィーさんの「7つの習慣」の2つめに当てはまっているからです。

「自分の終わりに思いをはせる」ことです。

コヴィーさんなどのキリスト教徒の方では今回のような話し合いは不要でしょう。

自動的に決まった宗派ではないでしょうから。

 

自分が死んだときどのような形でけじめをつけるかは私達日本人には決めなければならない問題です。

リタイア時にぜひ明確になさってください。

 

それが決まれば葬式をどうするか?墓をどうするか?は決まります。

 

もし後継者の方がお参りしにくければ「墓じまい」しておくのも一法です。

私も検討しています。

 

これらが片付くとみなさんからリクエストが多い「リタイア後の経費」も明確になります。

冠婚葬祭の費用は結構大きいからです。

 

これはケチるケチらないの問題ではありません。

あなたが周囲とどう関わるかがわかる問題です。

 

遺言状で明らかにしておこう

私の兄の終末医療では「遺言状」がなかったので意識がなくなってからの主治医の先生との話し合いが大変でした。

お医者さんが勝手に生命維持装置をつけたり外したりはできないからです。

 

家族全員が意思を聞いていたので無意味な延命治療は回避しました。

 

しかし書き置きがあればさらにスムースだったです。

 

自分が意識がなくなったら余計な治療はせずに死なしてもらう、というのも自分の意思というか死生観、宗教上の問題でもあります。

 

私は命の長さにはこだわりはないので「延命治療は拒否する」内容を残しています。

 

最後に

「死後のことなんか不吉だ」という考えもあります。

しかし、最後を明確にすることでそこまでの人生の質が充実することは明らかです。

 

また無宗教ならそれはそれでいいと思います。

問題なのは関心はないけど今までの慣習だからとだらだらと受け入れるのはもう限界だと思うのです。

お子さんや奥さんが納得される形での生き方であり、宗教や祭祀である必要があると思います。(個人の感想です)

 

ここまでお付き合いくださってありがとうございます。あまり語られない内容ですがあえて書きました。終わりが決まらなければすべてが決まらないからです。

 

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