株式投資をしていなかったらリタイアしていないのは確実だ
リタイアできたのはありがたい
調子に乗って「自分語り」です。
先日の記事に書いたように私は工学部でセラミックを専攻していました。
しかし真面目で優秀な学生でもなかったのでえらそうに「専門」を主張する資格はなかったのですが、こだわって大きな会社への就職に失敗したのも書きました。
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今まで振り返ってみてなにかに「こだわる」というのはどうも「選択を狭くして」生き方を難しくしますね。
今考えれば、何人かの人事担当者が見抜いたように、専攻はさらりと捨てて「営業」で頑張ったほうが良かったです。
しかしこだわっている人間に「こだわりを捨てろ」と言っても聞き入れることは決してしません。
何年かの自分探しをしているうちにひょんなことから「自分の道」に進みます。
工業ではなく「教育」を長くやった
それは田舎で土建会社のやっているセメント工場で働いていた時のことです。
セメントに使う砕石もしていたので火薬の免許なども取りました。
♣現場ではダイナマイトでハッパをして山を砕いていました。私は書類上はその現場の責任者でしたが実際にダイナマイトにさわったことはないです。
現場のおじちゃんの方が手際が良かったからです。
田舎ですが高校はありました。
今のようにネットで受講とかはなかったです。
塾と言っても小中学生対象のはあっても高校の数学を教える人がいなかったのです。
高校の先生はもちろん教えられますが確か条例で禁止とか何とかで。
数学を苦手とする高校生は90%はいますので、そして国公立は数学がいるので困っている生徒はいたのです。
というわけで大学では落ちこぼれですが受験までは「数学ができた」私に話が来ました。
知り合いのお子さんの高2生3人を教えることになりました。
大学の時家庭教師はしていたので「何とかなるだろう」と引き受けました。
実際に受け持ってみると「基礎がわかっていない」ことがわかりました。
まあ大体の高校生は基礎はわかっていないのですが、それにしてもです。
成績向上で希望者がいっぱい
自慢になるのですが、私は数学を教えるのはうまいみたいです。
上がらなかったことがないです。といえば言いすぎかな。
だって「出るものが決まっていて」「答えが決まっている」のですから
ということで結果としては、3人は地元の国公立、有名私大に入れたのです。
私が入れたわけではありません。適当に前に座っていただけですから。
で質問があれば答える、みたいな。
狭い地域なので評判になったようです。
「教えてくれ」という依頼があり、今で言う副業ですが、みんなの手前もあり「どうしたものか」と迷ってました。
そうしたら勤めている会社の世話役の人が「おれに任せろ」「すべてうまくやるから」と言ってくれたのでおまかせしました。
ある日知り合いから「○ちゃん、ワシの子供もなんとか入れてくれんかのう」「断られたんじゃけど」
「えっ、何の話?」みたいな。
くわしく話を聞くと、希望者が多いので、家庭教師ではなくてプレハブで塾を開くことになっているのだそうです。
そしてキャパが小さくて、一回10人くらいしか入らなくて、それで「いっぱいだからだめ」と言われたそうです。
それで塾長?である私のところへ直談判に来たわけです。
私はそんな話が進んでいることは全く知りませんでした。
さらに私は「本業」でやる覚悟も能力もありませんでした。
「3人だからなんとかなったけど集団で教えると今のスタイルだと絶対にボロが出る」と感じました。
自分が大学受験で勉強した以外には何のスキルもなかったからです。
「いい加減な今の状態で何十人も受け持つと身動き取れなくなる」
と思った私は、期待してくれてた生徒さんには申し訳なく思いながらも「お断り」して勤めていた会社も辞めて「スキルを学ぶ」ことにしました。
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そこから私の40年以上に及ぶ生業となります。
地方の中核都市の中堅の学習塾に就職しました。小中学生対象でした。
一から学ぶことにしたのです。
しかし当時は「学習塾の先生」の地位は著しく低くて「塾で働いている」というと決まって「昼の本業は何をしよってん?」と聞かれたものでした。
後で知ったのですが日本では「学生とか主婦」ができる業種は地位が低く給料も安いのだそうです。それは「片手間」「アルバイト」と受け取られているからだそうです。
今のコンビニ店員などもネットなんか見ると「低く見ている人が多い」のも同じかも知れません。仕事はとても複雑なのにね。市役所だと公共料金の支払い、タバコの販売、おでんの販売、・・・とそれぞれに専門の担当者がつきそうです。
一から学ぶ修行するにはその塾は最適なところでした。
新人でも多くのことを任せてもらえたからです。
都合5年弱そこでお世話になりました。
独立開業した
そこでずっと働くべきだったでしょう。
しかし「人間ができていなくて角が尖っていた」私には「こだわり」があり飛び出してしまいました。
考えて見れば私のように「偏った人間」は社会の荒波に揉まれてやっと角がとれるのでしょう。
だから「神様の思し召し」と思います。
教える人としては偏差65くらい、経営者としては偏差60くらい?
随分甘い見方ですがそんなでした。
小学生と中学の全教科を教えましたね。中学受験や高校受験も。高校生は受け持ちませんでした。
偏差が65と高いのは長く続けたからです。それだけ長く続けたのなら上位5から10%に入れてもらってもいいかなみたいな。甘いですね、自分には。
経営者としては全くダメでした。世間知らずでしたから。
だから並以下ですね。だから偏差値は40台です。
それが60と高いのはこれも長く続けたからです。
飲食店では1年で35%が閉店して2年では半分になるそうです。ユーチューブでやってました。そして10年続くのは10%以下。
その基準で行くと30年以上続けたのだから上位10%には入るかと。
いつまでも続けられる仕事は引き際が難しい
同業の同じ年代の人で自営の人は殆どがまだやっています。
定年とかがないからです。
しかしこれは「ワナ」にはまる恐れがあります。
「ずっとしていたい」という人は別ですがある時期でリタイアを考えているなら辞め時がわからないからです。
また競争が激しくリタイア資金がなかなかたまらないこともあります。
高配当再投資で資金がつくれた
多くの人に大人気の「高配当株再投資戦略」ですが私は「早い方」かも知れません。
私が手掛けたのは中国株です。
2002年から2006年の春までです。短いですね。
今ではヤバい株の代表の中国株ですが当時は伸び盛りでした。
ちょっとくどいですが、そしてスルーOKですが、中国株で高配当株戦略が成り立った仕組みを少し。もしかしたらこれから役立つかも知れません。
<中国の国営企業が配当を出す仕組み>
私の保有が多かった<江蘇高速>を例に話します。
江蘇高速の経営元は江蘇省です。公営ですが国営と言われます。
江蘇省交通局には様々な部門があり、旧態依然の体制でもちろん共産党が仕切っています。そこでは人員もムダも多く近代化が進みません。利益も上がりません。
それで優良部門をスピンオフして<江蘇高速>を香港、上海に上場させるわけです。
香港に上場して米国の会計会社に監査させるわけです。
資産は主力の高速道路を与えます。
必ず儲かります。不払いでは高速道路を出られませんから。
そうやって儲けたお金を「配当」として親会社に還流させる仕組みです。
親会社=江蘇省が株式の70%位を握っていますから大変な収入になります。
だから4%とか5%以上の配当を払ったのです。大部分は自分が取ります。残りはみなさんどうぞ。
自分たちでは改革できないことをわかっていたのです。
だから香港市場を利用して「改革」「近代化」「金もうけ」の1石3鳥だったのです。頭いい~。最近の香港情勢は、香港の役目が峠を越したと受けとられているのかも知れません。
この仕組を知った私は安心して電力、鉄道、港湾、道路といった「公共株」に投資したのです。
配当も年に2百万くらいあったと記憶しています。
気分最高だったけど実はもっといい方法があった
その頃は「オレは投資が実はうまい」と勝手に思ってましたね。
今から考えると穴に入りたいほど恥ずかしい。
私が苦心の末考え出した方法も実は大したコトはなかったのです。
それは「H株指数」のインデックスを買っていれば簡単に10倍になったからです。
私の投資ははるかに劣っています。
♣もっともH株指数ETF<2828HK>ができたのはかなり後ですがね。
今「高配当株戦略」押しでないのはその時の経験もあります。
もっとも気分良く大きく投資できるという大きなメリットもあるので「評価」しています。だから高配当の方もあまり「目の敵」にしないでください。
米国と違うのはバブル化してしまいそのあと崩壊したからです。
そのまま続けば私も夢のような日々を過ごせたでしょうに。
インデックスには大きく劣りましたが資産は増えました。
この時の投資がなかったら私はリタイアできていないと思うのです。
投資の偏差値は50だったかな
最後に投資の偏差値ですが今のレベルの高い基準で見ると良くて50でしょう。
本当は40台ですが、全力投資をしていた勇気をプラスして50です。
現在はその時からはレベルアップしました。
例によって長くなりました。以上です。
それではみなさんの良い投資を!
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