チンさん凡人投資家

投資歴40年ですが達人ではないです。特別な才能がない普通人がリタイア後の資産を株式投資で失敗なく確実に作れる方法を発信しています。お金のかからなくて楽しいリタイア生活も発信中。

フェイスブックに登録したら大学時代に一緒に住んでいた友人に出会えた件

へーこういう出会もあるんだ

先日フェイスブックに登録したんです。実名で。薦められたので何も期待せずにです。

そうしたら大学2年の時に民家の2階の2室に向かい合って住んでいた旧友に巡り合ったのです。

 

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今日は「自分語り」のなので「読み物」として以外何のプラスもないのでどうぞスルーしてください。

 

私はあまり昔を思い出さないタイプです。

いい思い出が少ないからかも知れません。

だから名前なんかもじゃんじゃん忘れちゃいます。

 

なのでフェイスブックで「知り合いではありませんか?」と出てくる人はもしかしたら同級生だったりするかも知れませんね。

大学は地方国立大の工学部です

今から考えると理系は向いていなかったですね。

就職の時も「技術職では要らないが営業でなら欲しい」とどこでも言われましたから。

それでも、ろくに研究もしていなかったのに技術職にこだわってせっかくのいい就職口を振ってしまうんですね。昔のボクは。

 

「視野が狭い」と言うか「バカ」としか言いようがない愚挙です。

せっかく人事担当が、電話までくれて勧誘してくれたのに、「技術職でお願いします」とこだわってパー。さらに東京勤務というのが嫌だったのもバカでした。東京、素晴らしいじゃあないですかね。

 

そんな思い出したくない恥ずかしい歴史があるので昔のことはあまり思い出さないのですが、今回連絡頂いてがぜん思い出しました。

今の学生、若い人から見れば「幼稚に尽きる」

とにかく情報の差が現代とは圧倒的に違います。

現在でも「スマホとかSNSとかけしからん」とかほざいている年寄が多いですが、単に「使えないだけでしょ」と突っ込みたくなります。

 

恋愛なんか、携帯とかスマホの登場で劇的に進歩したでしょうね、恩恵を受けてないので知らんけど。

昔はデートの打ち合わせで女の子の家に電話しても、電話に出たお父さんとかに「今〇〇子はいませんよ」とか居留守を使われたことも多かったのです。

それだけこちらの評判が良くなかったのでしょうが。

 

今思えば全てにおいて幼稚だったですね。

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男子が声をかけられないのは変わっていない(笑)

しかし不思議なのはテクノロジーと情報が飛躍的に進歩した現在でも、ネットを見ると「好きな女子に告白できない男子」が多いことです。

テクノロジーの進歩と男子の勇敢さには関係はないのですね。

 

私も当時の理系の学生がそうだったように奥手で女子が苦手でしたね。

工学部全体でも女子は1桁しかいなかったですから。

 

高校時代の悪友達?のおかげで女子に対する抵抗力は増したかも知れません。

 

彼いわく、女の子に「モーション」をかけるのに

(当時はそういう言い方をしていた、今は告白ですね)

「こっちが心配することはいりゃーせん、OKするかどうかは向こうが勝手に決める」

と至言を吐いて次々と声をかけまくってたそうです。

彼らは東京だったので、私は地方で現場を見たことはないですが。

 

確かに「選択権」は向こうにあるので、南方の派手な格好をした鳥と同じく一生懸命アピールして相手のOKを待つしかない身分です。

 

私自身は不思議に「振られたらどうしよう?」と考えたことはなかったですね。

そこまで知恵が回らなかったのでしょう。

 

だから1年生の時にいっぱい振られたのはよく覚えています。確か6人くらい。

 

今思えば大学1年生くらいの時は男子と女子は精神年齢に果てしない差があるので、女子からすれば男子は幼稚に見えすぎて恋愛の対象にならないことが多かったのではないでしょうか。

 

半年ほど付き合った子はお姉さんと一緒に食事したことがありました。

地方なので大学生の付き合いといえども結婚を意識してのことだったのですね、きっと。

ボクは幼稚で将来のこととか、結婚とかは片隅にもなかったので簡単にお姉さんに見透かされて「ダメ出し」されました。

♣とても人気がある子だったのでどうしてボクと付き合ったのか今でも謎です。たぶん物珍しさでしょう。

そして別れた原因は私にあるのですがその理由が何だったのかは忘れてしまいました。多分ささいなことでしょう。

T君とは同じ部活で同じ釜の飯を食った仲

詳しい時系列は忘れてしまいましたが、彼女と別れて工学部の近くに引っ越してT君と同居したのです。(同じ家に住んだので、ボクが6畳で彼が4.5畳だった)

 

台所はなかったですが、一緒に御飯を食べたりしました。

部活も彼が入っていたのにボクがあとから入ったし、あとで一緒にバンドを組んだりもしました。

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♣フォーク、ロックの4人のバンドだったけど、ボク以外はみんな経験者でついていけなくて脱落したが、行動は一緒にすることが多かった。

バンドはその後素人が抜けて順調に活動した。ただしメンバーは卒業しない人が多かった。私は抜けたので無事卒業、一年余分にかかったけど。

部活では彼は部長もしたりしてまた演奏もうまかった。ボクは音楽はすべて下手。

 

今の若い人から見れば「何を生産性のないことやってるんだ」と突っ込まれそうなことばかりやってました。

 

女の子の多い部活だったので、クラブ内での恋愛やその関係も多かったです。

Tくんも彼の同郷のAくんもクラブの先輩を好きになって、何の手助けにもならないけどぼくも毎晩遅くまで話してましたね。どちらも人気の女子だったので競争が激しかったのです。

 

案ずるより行動が早いのですがね。そんな時代だったのです。

私は「恥を知らない人間」とされていたので厚顔なところが頼られたのかも知れません。

 

T君はその後、私が大学を卒業したあとで、その彼女と結婚したと聞きました。その後別れますが詳しいいきさつは聞いてないです。

お互い専攻の道には進まなかった

その後故郷のF県の県庁所在地の市に帰ってカメラマンをしていました。

器用ですね。何でもお父さんがそちらの仕事だったようです。

 

私らの年代は就職が悪かったので私もそうですが専攻とは違う職業に付く人が多かったです。オイルショック後の不景気です。

それもあって私は「新卒一括採用」には否定的なのですが、今の若い人は就職が良いので賛成の方が多いようですね。

 

その後私が故郷で土建屋に努めていた頃、わざわざ広島の田舎まで訪ねてきてくれました。その時が確か25歳くらいだったので40年ぶりの交信になりますね。

 

いやー、急に懐かしさがこみ上げてきましたね。

年賀状を1枚も出さない人間なので、昔の人との交流はほぼ無いんです。

 

それが連絡が取れたのはフェイスブックのおかげです。

今彼は不動産の免許を取って「不動産や」をしているそうです。

 

たくましい彼らしい生き方ですね。

ボクも周りからはそう見られるけど実際は「ひ弱」です。

ただ「打たれ強くて」「傷つかない」面はありますね。

 

早く機会を見つけて会いたいと思っています。

(単にボクが行けばいいだけなのですがね、神戸からだと近いので向こうにいる時まで待つことにします)

 

以上です。しょーもない話にお付き合いくださってありがとうございます。

 

それではみなさんの良い投資を!

追伸 今朝起きたらアルトリアが48.45ドル3.24%と急騰してました。

理由を調べようとしたら「もみあげさん」のブログに詳しく載っていて助かりました。

サンキュウーです。記事はもうご存知だと思うけどこちら→

高配当タバコ銘柄株価急上昇!FDAニコチン規制強化ギブアップでタバコホルダー大歓喜! - ”もみあげ”の米国株投資-お金で幸せになる!-

 

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