中国が米国に代わって覇権国にはなれない理由(1)
こんにちは
米中首脳会談は無事終わりました。
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交渉は継続でその間は関税はかけない。という中国のメンツを立てたものでした。
ファーウエイへの取引OKといい米国の妥協が強い内容でした。
習主席は「米に外交で勝った」と国内向けには宣伝できるでしょう。
代わりに米国が得たものは「米国産農産物の買い取り増額」だけです。
しかしこれはとても成果とは言えません。
もともと中国から見て3倍位の輸出超過だったのですから、相手に配慮して輸入を増やすのは当然です。
米国から輸入できるものとしてはまさか武器は買えないのでボーイングの民間航空機か農産物くらいしか見当たりません。
だから農産物の輸入拡大は中国にとっては痛みはありません。
来年の大統領選に向けてこのタイミングで成果を上げたかったのでしょう。
脅しまくった割には小さい成果で妥協したものです。
そのくらいトランプにとっては大統領選ファーストになっています。
さて今日の本題です。
中国は米国に代わることができるのか?
という命題です。ゴールドマン・サックスは2050年には中国経済は米国をしのぎ世界NO1の経済大国になると予測しました。
そうなると経済では覇権国の交代です。
ゴールドマン・サックスと言えば歴代の米国の財務長官を出している中国からすれば敵国のまさに中枢です。しかし中国政府はこのレポートを喜んだ形跡があります。
日本にも「位打ち」という貴族が使った手法があります。
木曽義仲や源義経がこの計略にまんまと引っかかりました。
中国もこの「よいしょ」に乗った感じが強いです。
つまり「中国が米国を追い越すことは世界的なコンセンサス」と受け取ったのです。
習主席への権力集中と相まって強権的な姿勢が目立っていました。
中国は覇権を握れない
私はそう結論しました。
日本には中国嫌い、韓国嫌いの人が多く議論をリードしています。その方たちの中国だめ論はいい内容も多いですが「はじめに結論ありき」でバイアスが強く感じます。
そこで自分なりに過去の歴史を調べて見ました。
中立的に論じた本や記事があれば教えてください。
また素人が調べたことですから間違いなどもご指摘ください。
とりあえず結論ダイジェストを書きます。時間があれば詳しく書きたいと思います。
1 ひとつの中国という言い方には無理がある。
1 万里の長城は時代とともに後退している。
悪名高い秦の始皇帝が異民族の匈奴の侵入を防ぐために将軍蒙恬に命じて築いたのが万里の長城です。
万里を大げさなという人もいますが当時の1里は225mなので2250kmになり実際に万里以上あったのです。
「効果がなかった」とする意見もありますが、明らかに効果はありました。
物理的に越えられないので、またいったん越えると帰ってこれないので遊牧民に与えた効果は絶大です。
遊牧と同時に農耕民への略奪を生業としていた人たちは長城の近くに住むメリットがなくなります。
ところで地図を見てみると秦代の方が明代よりも北にあります。
長城の内側が勢力圏とすると時代とともに後退したわけです。
兵站を考えてより現実的な防衛線にしたとも言えます。
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2 異民族の戦力は絶大だった
遊牧、略奪で暮らす異民族の戦闘力は想像以上に高く農耕民の敵ではありませんでした。通常一人の戦闘力は20:1といわれます。
これはモンゴル族だけでなく塞外民族共通でした。
生産力が高い農耕民族にとっては異民族は「略奪にやってくる命知らずなならず者集団」で迷惑な存在でした。
だから長城の近くに住む漢族に「異民族は友達ですか?」とインタビューすれば「とんでもない」と否定するでしょう。
つまり以前は長城の外を含めて「一つの中国」という意識はまるでなかったのです。
蛮族と見下しながらも「強大な戦闘力」を持つ怖い存在という位置づけです。
3 過去には外に開かれた王朝が繁栄した。
下は中国の歴代王朝の図です。中国語ですが何とかわかりますね。
①周王朝
殷(商)の紂王を倒して政権を握りました。美化、神格化されており現在する表現は鵜呑みにできません。まず紂王は暴君ではなかったこと。周の文王、武王は野心のあった人物、西方の文化、民族の影響が強いこと。が疑われています。
王族自身も異民族の血が混じっている可能性は高いです。また軍師の太公望呂尚は羌族で遊牧民です。商王朝には狩りの対象として狙われ恨みを持っていました。
♧亀の甲羅の占いでは羌族のいけにえの数を何人にするかで占いを立てています。
西との交易に強く玉(ひすい)などで大きな富を築いていました。
②秦
戦国の7雄から抜け出て中国を統一しました。本拠地が西部でやはり西の影響が強い政権です。さらに意外ですが重商主義志向でした。全国の富豪を都に集めました。正しい措置です。農民や征服民に対する徹底した搾取も異民族のやり方です。異民族の血を引いていたかどうかは別にして文化としては似ています。
♧占領地域、降伏した人に対しての搾取を「ひどい」と私達は感じますが、ギリギリの生活を強いられている塞外遊牧民にとっては「当然の権利」でした。
③漢
ほぼ唯一の漢族政権です。重農主義で人口は6千万人に達します。北方の匈奴に対しては自身を弟として物資援助もして平和を重視します。(貢物ととられる)
④三国志の時代
みんな大好きな英雄が活躍する時代ですが、人口は93%減ったとされています。
軍事では西方異民族が活躍します。
英雄の曹操は現実主義で勢力を拡大しますが、宦官の孫という出自で下に見られています。
曹操の率いる魏が勝ち抜いた理由として「屯田」があります。政権が農具や土地を提供して農業をさせたのです。食糧不足の時代にあって素晴らしいアイデアと言えます。
♡現代は食料がありあまり「炭水化物抜きダイエット」もブームですが、過去歴史的にはずっと「食料不足」が常態でした。特に保存の効く穀物の需要は大きく価値が高かったです。これはギリシャ、ローマなど西洋にも共通しています。
♧古代貴族社会に共通しますが、部族の優劣、上下も重要ですが、部族の中でどの地位にいるか、血縁はどうなのかがより重視されます。
だから同部族内で貴族と平民の結婚はありえないですが、亡命中の他部族の貴族との結婚は多くの例があります。
ここまでの結論
1 中国の範囲は時代とともに変化している。
2 防衛上から長城が築かれ、その外は異民族の住む場所だった。
3 歴代王朝にも血縁的にも文化的にも遊牧民族の影響がある。うまく取り入れた部族が力を得ている。
4 部族意識とともに王族、貴族の階級意識が強かった。→これは重要。
塞外の遊牧民でもこの価値観は共通で、部族社会共通と言える。
5 中原の人たちは異民族から自分たちを守るのが精一杯で、積極的に自分たちの文化を広める動機は薄かった。
今の中国政府が唱える「一つの中国」というのは過去から見ると違和感満載です。
それぞれの時代に中国のそれぞれの地域に文化があり発展してきた歴史があるからです。意識していた中国の範囲は変化しています。現在の国境とは異なっています。
逆に言うと強力な敵に回りを囲まれていたので自国意識が生まれたとも言えます。
他民族との接し方も強圧的ではありません。
現在の中国の強権姿勢とは相当の開きがあります。
長くなりますので今日は三国志の時代までです。
それではみなさんの良い投資を!
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