中国が米国に代わって覇権国にはなれない理由(2)独裁政治の弊害
こんにちは
2019年7月1日(月)
さて、中国が米国に代わって覇権国になれない理由(2)です。
今回は専制君主の弊害に焦点を当てます。
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まず日本との比較年表で見てみます。
三国時代の曹操のところまででした。
日本では弥生時代が終わり古墳時代に入ります。
曹操が頑張って戦い勝ち取った政権も長続きしませんでした。
司馬懿こと司馬仲達に乗っ取られてしまったのです。
三国志では諸葛孔明のカウンターパートナーで道化役でしたね。
諸葛孔明が文官だったと同じく司馬仲達も文官です。
とても有能な人物でしたが曹操の招きに応じなかったことが伝えられています。
しかし、曹操は自分の政権に参加しない優秀な人間は殺す方針なことを知り参加します。
粛清にも耐えて、いろいろありながら最後にはクーデターで実験を握ります。
文官ながら戦争に負けていない手腕が大したものです。
やがて隋が統一するまで圧倒的な生産力の南部と異民族の北部が分かれて統治される時代が続きます。
南方が米で北方が小麦と食事も文化も大きく違うようです。
黄河と長江の間に山脈でもあれば一つの国にはならなかったでしょう。
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隋が中国を統一
モンゴル系鮮卑族の北周の将軍だった楊氏が統一。やはり鮮卑族と思われます。
2代目の煬帝で次の唐に滅ぼされました。亡国の君主なのでありとあらゆる悪口を言われています。
大運河の建設
食料の生産地である長江流域と首都長安を水運で結ぶ構想です。
多くの人民を労役に駆り立てたと批判されています。
高句麗遠征のためのエイサイキョを別にすれば十分役に立つ工事でした。
修理されながらその後も使われたことが証明しています。(土砂が堆積するので管理が大変)
人民と皇帝では負担と利益の受け取り方が違う。
秦の始皇帝の長城建設も「不要」といわれることが多いです。
中央集権の皇帝にとっては必要に思われることでも人民には負担の大きさが厳しいです。また人民から推戴されたわけでも、民族的に同じでもないので「急ぎすぎた」のでしょう。
王朝が樹立して間もない時期に大工事をやるのはタイミングが悪かったのです。
不用意だった高句麗遠征
北部で発足した隋ですが豊かな南部を併合し煬帝の時期には長城を越えた地域も制圧しています。長城を越えた地域は農産物が取れるわけではないので防衛上の理由、あとは見栄です。煬帝はとても見えっ張りな性格だったのです。
北方の脅威は突厥でした。
突厥はモンゴル高原にいた遊牧民でトルコ系です。トルコというと西アジアを連想しますがモンゴル高原や中央アジアで有力でした。
分裂した東突厥は一応隋に従属していましたが当てにはなりません。
高句麗は首都は朝鮮半島の平壤にありますが、朝鮮半島の国とは言えません。
民族的にも満州族です。満州族は仏教徒で狩猟をメインの生業としていました。
モンゴル高原よりは降水量が多く疎林で遊牧が難しかったのです。
といって農業には不向きで生産性は面積の割には低いです。
高句麗の南にある百済と新羅はともに隋に朝貢していました。
高句麗は服属を拒んでいたのです。それだけ自立心が強くまた武力に自信があったのでしょう。
朝貢を拒むだけで大軍を向けられた時代が過去には頻繁にあったのですね。防衛力不要論の方は「攻めてくる理由がない」といいますが理由はそこらじゅうにあります。
2 祖国防衛戦を戦い抜いた高句麗
目障りな高句麗遠征に当たって煬帝は実に113万の兵力を投入します。
食料を運ぶ人間を加えれば200マンを越える大動員です。当時の支配下の人口は4500万人。
このために開削した新運河のエイサイキョを使って北京まで食料を運びあとは陸路でした。
戦力的に劣勢な高句麗は焦土作戦で対抗
隋の圧倒的な大軍を前にして高句麗は要衝の遼東城を守るために周辺をすべて焼き払う「焦土作戦」を敢行しました。井戸も埋めて徹底抗戦です。
さらに防衛力の手薄な補給線を襲って兵糧を焼きました。
焦った隋軍が30万の別働隊で首都平壤を攻めます。ここでも圧倒的な兵力差。高句麗は「勝ち目が無いので降伏する」というウソの情報で隋軍を足止めし油断した隋軍を強襲してほぼ全滅させます。
高句麗軍の作戦は戦上手でやはり塞外民族、遊牧民族の流れを感じさせます。
兵糧が届かないので兵は飢えて撤退。これが1度目。
高句麗遠征は3年連続で行われた。
しかし煬帝は意地になりメンツをかけて毎年遠征を敢行しました。そして3タテを喰らいます。
負担に耐えかねた反乱も起こり結局隋は滅びます。高句麗遠征が原因となりました。
専制君主に権力が集中すると引き返せなくなる
振り返れば高句麗遠征を開始したときが煬帝の勢いは最高レベルでした。
連戦連勝だったので負ける気は全くしなかったのでしょう。
だから1度目の失敗でもやめることができなかったのです。
皇帝1人に権力が集中するとだれもアドバイスができません。即死刑になるからです。
うまくいかない時に「撤退しましょう」「やめましょう」と言えないのが専制政治、独裁政治の最大の欠点です。
結局皇帝の資質に国と民の運命が大きく左右されます。
20世紀の共産主義国家でも同様のことが起きました。
レーニンやスターリン、毛沢東の暴走をだれも止めることができなかったのです。
習主席は権力を集中しているが
毛沢東の暴政に懲りた中国共産党主導部はそれ以降はそれなりに集団指導を取り入れてバランスを取ってきました。
習主席は「核心」として毛沢東以来の「権力集中」を行っています。
その独裁化によるリスクはないのでしょうか?
民主主義は効率は悪いが安全度は高い
対して西側諸国が採用する民主主義は効率は悪いです。しかし独裁者の暴走による弊害は抑えられます。米国でも大統領は2期までです。
シンガポールのリー家のように優れた指導者による強権的な政治で大きく発展した国もあります。中国はシンガポール型を目指すんでしょうか?
14億もの人口を抱える中国が一人の指導者にすべてを託すのは世界的にもリスクが大きすぎます。
中国がこれから「手堅い」成長を目指すなら効率は劣っても西欧型の「民主主義」に移行するのが適切です。
共産党独裁を続けるなら「独裁者の暴走」のリスクがあります。
共産党としては自己存続を優先するのか、国の安定成長を優先するのかの2者択一を迫られています。ジレンマです。
習主席は「核心」として権力集中を進めています。
しかし過去にうまく行った例がないので、今度は大丈夫というアイデアや仕組みがいると思いますが今のところ見当たりません。
米国ばかり見ていると今の地位も安泰ではない
なんのために世界NO1を目指すのかは不明ですが、米国を追い抜くことばかり考えていると足元をすくわれます。
世界NO2になったとはいえ、その経済基盤は脆弱だからです。
世界の工場として発展してきた中国も人件費や経費の高騰で、むしろ日本で生産したほうが安いとまでいわれるようになりました。
それに代わる強力な産業やブランドはまだ成長中です。
非効率な国営企業の改革も待ったなしです。
これらをきちんと整備するには20年ほどの年月はいるでしょう。
とても軍事力ばかり強化している余裕はないのではと思いますが軍事力偏重は続いています。
ここまでの結論
1 中国の王朝では指導者の暴走で秦や隋のように短命で終わったケースがある。
2 皇帝、独裁者の欠点はだれも間違いを指摘できないのでチェック機能が働かず傷が深くなること。
3 民主主義は効率は良くないがこの欠点は克服している。
4 中国が現在の習主席の集権体制で進むと独裁者の弊害のリスクがある。
5 中国の経済基盤はまだ脆弱で不安定である。
今日は以上です。
米中交渉の明るい見通しで米株は今後も堅調が続きそうですね。
それでは皆様の良い投資を!
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